環境ネタで便乗値上げ

様々な物の値上げが続いています。円安のせい?日本社会の構造的な生産性の低さのせい?ウクライナ戦争のせい?いろいろと言われています。日本ばかりでなく,世界的な傾向だとも言われます。

実際問題として,スーパーマーケットで求める毎日の食材にしても,去年と比較して10%~20%くらい上がっている感じがします。スナック菓子,弁当,菓子パン等のコンビニ商品も,肉や野菜などの食材以上の値上がり率であるように感じるところです。統計資料を確認していないが,筆者の感覚としてそういうことです。

昨今の値上げに限ったことでなく一般的に,値上げに際して売り手は様々な言い訳をすることが多い。仕入値が上がっているから;仕入先や製造元から値上げ予告を受けたから;諸物価が上がっているから;その他云々。いっぽうで理由を示さずにシレッと値上げを実行する例もあります。

値決め(価格設定)は,もともと売り手の権限であり,売り手の仕事です。ただし,買い手がそれを受け容れるか否かは買い手の意思によります。そして,値上げに際しては言い訳があってもなくても,取引量に大きな変化がないのが普通です。買い手にとっての関心は言い訳にはなく,もっぱらその商品の価格と有用性の比較つまり,コストパフォーマンスに向かいます。その辺りのことは読者も買い手の感覚として理解できることと思います。経済学は「価格は需要と供給で決まる」と説明しますが,これを買い手の立場で言い換えれば「買える量は欲しい数量と払える値段で決まる」というところか。以上の原理があって,値上げの言い訳になんの意味もないことが理解できるでしょう。「高くなったけれど,そういう理由であるならば,良し」と買い手は考えません。

ただし,意味のある言い訳もあるにはあります。中身の増量とか性能やサービス内容の充実などがあっての値上げ,つまり,コストパフォーマンス向上をアピールしたい値上げの場合です。買い手は価格の変化には敏感ですが,中身の変化には気づき難い。だから中身の違いを訴えたい値上げでは,そのことを積極的にアピールする意味はあります。これは,掛け合い漫才みたいなもんです。漫才のツッコミというのは,ただボケ役の暴走を宥めたり合いの手を入れているのではなく,観客に対して「ここで笑え」と笑いのポイントを教えているのです。意味ある言い訳はこれだけで,その他の値上げの言い訳は無意味です。「高くなったけれど,中身が良くなったのか。知らなかった」は無意味ではないけれど,それ以外の言い訳ではコストパフォーマンスの向上の説明にはならないのです。

ところで,エコ値上げを御存じでしょうか。値上げやサービス縮小の言い訳として「地球環境のため」とか「温暖化対策のため」とか「CO2排出抑制のため」とかを引き合いに出している例を見るでしょう。「次から年賀状を止めます。エコのために」とわざわざ通知をする例。年賀状を止めてどの程度エコなのか分かりませんが,今年の年賀ハガキに一言書くだけで良いものを,わざわざその一言のために年賀状と別のハガキを送る矛盾。それよりも五円の寄附付き年賀ハガキを使ったらどうでしょうか。さらに驚いたのが「このたび地球環境のために請求書の発行及び郵送料として220円を頂くことになりました。つきましては,自動引落しへの切替えをお勧めします」という請求書。これを読んで「よしわかった。値上げを受け容れよう。ところで,その220円はどのような環境保全策につかうのかな?」と顧客から問い返されたらどうするのでしょうか。「ぐぬぬ・・・・」となるしかないでしょう。

そもそも値上げの言い訳は不要ですが,ネタがなければ環境!というのが流行になっています。「環境」は,値上げの言い訳として使い易いもののようです。現在の環境保全活動は,社会運動的な側面が強く,「環境」を言えば細かいこと抜きになんでもアリなのです。昔は,環境保全と言うと,保全の対象は生活環境と自然環境でした。これら2つは人間の生存に直接関わり実感しやすいが,その問題解決に目処が立つと,世の関心は「地球環境」とか「持続性」とかのヨリ広い抽象的な概念に向かうようになりました。これらは実感しづらく技術的手段による成果も測り難いのです。それゆえ,問題解決のための活動はテクノロジー面での対策ではなく,社会運動的な方向を目指すようになりました。その社会運動とは,大衆の意識や心理を動員することです。意識や心理の動員においては,参加することが重要であって環境数値の改善など実質的な成果はあまり期待されません。ただCO2削減とかを叫んでいれば,何もしなくても「行動が伴っていないではないか」と非難されることなど,まずありません。まことに便利で使い勝手の良い道具です。社会運動サークルの外から見れば,理解し難く時には滑稽にも感じられますが,中の人は大まじめです。一種の宗教的な熱情とも言えます。

このような状況において,吾々は如何に生きるべきでしょうか。ズバリ!「考えないこと」です。サークルの中の者であれば,無意味であることに気づいたとしても,サークルのメンバーとしてのサークルへの義理と割り切って,環境ネタの言い訳をすれば宜しい。サークル外の者ならば,理論を追及することも批判することもなく,素直に聞いてそのまま忘れてしまうのが良いでしょう。それが,互いの損失を最小化する最も賢い方法のはずです。

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